2025/5/20

楽譜を読んで演奏するということ

私は常々、楽譜を読んで演奏するのは、つまり読書と同じだな、と思っています。
小さな子が、ひらがなを一つずつ発音していく可愛らしい絵本、
小学生が、続きを早く知りたくてワクワクしながらページをめくる物語、
中高生が、共感しつつ読み進めるライトノベル、ちょっと背伸びして手を出す哲学的な文学書、
大人になってふと手に取る、昔読んだ絵本や物語、
大人になったからこそわかるスリルに富んだ産業サスペンスや推理小説、人情溢れる時代小説、昔背伸びして手を出した長編文学の再発見、等々・・
中には詩集や俳句集などもあるでしょう。
 
紙に印刷されている文字を読み取り、その情報からあらゆる場面を想像し、そこから生まれる感情を味わう。そうすることによって、自分の中の何かを成長させる。
・・・こうやって文字にすると、人間ってすごいな!と思いますね。
何十年も昔に描かれた絵本を、いま、赤ちゃんが、ご両親や保育士さんから読み聞かせしてもらっている。
百数十年も昔のお話が、アレンジされてアニメや映画になっている。
ライトノベルやサスペンス、推理小説なども、古典をベースに展開されていたりするものもあったりしますよね。
元々は一人一人個人の発想なのだと思いますが、時代を経ると、それが人類の知識や感覚として脈々と受け継がれて来ているのだなあ、と、思うのです。
人間は地域も時代も超えて、知識や感情を共有しているんですよ!
 
音楽の世界でも同じなんです。
「さいた さいた チューリップの花が」と昭和7年にデビューした曲が、今も春の喜びとして幼児に歌い継がれている。
「ロンドン橋」や「メリーさんのひつじ」など、昔の外国の子供が感じたリズム感や楽しさを、現在の日本の子供も共有している。
ベートーベンがエリーゼ(テレーゼ)に宛てて書いた、でも出せずに終わった切ない気持ちが、今も「わかるよその気持ち・・!」と弾き継がれている。もっとすごいのは、そんな曲の背景なんて知らなくても、その情緒をダイレクトに感じ取って「なんか素敵!」と幼い子供でも思ってしまえる。
まさに地域も時代も、世代も超えますね。すごいなあ・・・!
 
歌い継がれ、聴き継がれてきた数々の名曲も、長く複雑なものになると、やはり楽譜の存在が重要になります。
録音機器のなかった時代の情報が、楽譜によって受け継がれているのです。
単旋律の歌などだったら、聴きながら口ずさめば数回で覚えられそうですよね。
でも、いくつもの楽器の合奏曲を、聴くだけで「この楽器はこう弾いて、こちらの楽器はこう演奏して、この楽器はこう吹いて、ハイ合わせましょう」・・というのは大変すぎます(^^;
ピアノという楽器は、オーケストラの全部の楽器の音域を持っていて、たくさんの楽器の役割をすることができます。
入門したばかりの時は、ひとつの楽器分の単旋律を弾いていても、じきにもう一つの楽器分が加わって両手で弾くようになり、そのうち片手でも二つ分の楽器パートを弾かなくてはならなくなり・・・と、”一人でも合奏”の状態になるのです。そしてその担当人数がどんどん増えるのです・・・!
このような将来を考えると、入門したての頃から、「やっぱり楽譜は読めるようにならなくちゃ!」と、講師は思うのです。
聴き覚えてどんどん弾けちゃうお子さんには、その必要性をわかって貰うのがとっても難しいんですけどね!
 
ピアノ(に限らず他の楽器でも歌でも)の習得を目指すことによって、楽譜の読み方を知る、そして時代や地域を超えた”人類の想い”に触れる。
それこそが、音楽を学ぶ醍醐味だと思います。
勿論、聴くことによってその醍醐味を味わっている方も大勢いらっしゃいます。
音楽って、聴くものですもんね。
でも、自分が演奏するならば。
ちょっと想像してみてください。
自分宛てに届いた手紙を、自分で読むか、誰か他の人に朗読してもらって真似するか。
自分で読みたいと思いませんか?
大好きで何度も読んだ物語が、映画化された。けど、自分のイメージとはちょっと違ったな~、となったこと、ありませんか?
自分が読んだテキスト=楽譜を自分の中に思い描いたイメージ通りに具体化できるのは自分しかいないんですよね。
(それが、他の多くの人々の共感を得られるかどうかは別として)
なので、ことクラシックに関しては、私は耳コピーで弾くことは一過程としてはOKとしますけれども、最終的には自分で読譜して弾けるようになることを目指しているのです。
奥深い世界で楽しいですよ~♪
私は、生徒さんに「一緒に沼ってくれる仲間になって~♡」と思いながら毎日レッスンしているのです。ふふふ。
 
耳コピーできる能力も即興演奏できる能力も欲しいですけどね!
それに関する話題は、また今度♪